「近畿漢詩連盟」発足について 大野 修作
昨年(2011年)9月23日に近畿漢詩連盟が発足しました。会長にはどういう訳か小生が選ばれることになりました。恐らく『書道美術新聞』での漢詩欄を担当していることが大きな理由かと思われますが、『書法漢學研究』にも漢詩欄を設けていますので、それらが相まって漢詩研究の拠点の一つとして認められたのだと思うと、一面うれしく、又一面重い責任をも感じています。そうなると『書法漢學研究』の漢詩欄と近畿漢詩連盟の漢詩欄にはおのずと性格の違いを明確にしなければならないと思い、本稿を書いています。
『書法漢學研究』に漢詩欄を設けたのは、現在の書家があまりに漢詩に疎いと切実に感じていたからです。漢詩を作れない、漢文が読めない、それで書を書くなんて曾ての中国では考えられないことでした。知識人、すなわち文字を書く人であることは、必然的に書が書けなければならないことを要請されていました。其れが日本に入ると、科挙と言った知識人、エリート選抜試験がありませんし、日本には仮名という書もあるので、漢文漢詩が必須のものではなくなってきました。そして現在、ほとんどの人が漢詩を作れないという事態になってしまったわけです。要するに本末転倒もはなはだしいもので、曾ての中国の知識人の目からすれば、狂っていると言える状況になってしまったわけです。書を支えるものは文字であり、その中でも漢字の持つ強さと深さは計り知れないもので、それゆえ、中華四千年というように、世界で最も長い漢字文化の歴史があるわけです。書家は漢詩が作れるべきであるという方向で、使える「墨場必携」を目指したいと思います。連盟の会報に載せた文章を以下に引用して、漢詩の効用を確認すると、
漢詩、漢文に対する素養の低下と最近の日本の国力の低下は比例しているように思えてなりません。国家のリーダーたる人が漢文漢詩の素養を欠くと言うことは、羅針盤のない航海に似ているように思えます。明治維新以後、日本は欧米に範を取ると言うことを国策にしてきましたが、明治の元勲たちにはまだ十分な漢文力がありました。それは近代化を推し進めても、漢文漢詩の広い文化を背後に持っていましたので、混乱に陥らず近代化を推進できた最大の要因と思われます。
ところが最近の日本の政治家、学者はほとんど漢詩の素養がありません。明治維新以後、欧米、ことに太平洋戦争以後は主に米国に習って、中国文化を捨てていましたので、皮相な文化のみがはびこってしまいました。すなわちビジネスツールとしての英語文化をマスターすればそれで事足れりとする態度です。英語がビジネスツールとしてもてはやされるのは翻訳して、それほどの誤差が出ないと言うことがあります。それは別の見方をすれば浅い歴史文化しか持たないということです。漢詩はそれほど簡単ではありません。それは中華四千年の歴史を背後に持つからです。世界史上最も長い文字文化と言えます。それだけ長生きすると言うことは漢字には強靱な生命力があるからで、漢詩はその生命力を涵養するには最も優れた方法として認識されればこそ、科挙において、中心的科目として存在し続けました。隋代から清末まで約千五百年、漢詩は文化の王者として君臨してきました。それは複雑な漢字文化を運用する能力は、その人の人間力をはかる道具として最も優れているという認識があればこそです。
となるでしょうか。『書法漢學研究』の漢詩欄は、実際に漢詩が作れるようになり、書家にとって一番必要な現在の「墨場必携」、要するに使える墨場必携を提供できるような場にしたいと考えています。一方、連盟の会報は、一般的な漢詩の発表の場になってゆくでしょう。 |