呉昌碩尺牘集
◆ふくやま書道美術館収蔵の栗原コレクションは、これまで二度見学したことはありますが、全体でどのような収蔵なのか気になっておりました。明清の書画では世界有数の量と質を誇るコレクションであると思っていましたので、いつか見学の機会を得て、収蔵庫の中でじっくり鑑賞できることを長く切望しておりました。ところがこのたび『呉昌碩尺牘集』が上梓されると聞き、指導主事の石永甲峰さんを通して、その尺牘自体を見たいと申し込んだところ、大阪での現代書道二十人展会場で栗原先生から直接、「見に来てください」と思わぬ有難い返事を頂きました。
◆アートライフ社の近藤さんと日程を調節して、3月6日にお邪魔することにしたところ、偶然にもその日は「栗原先生の福山での稽古日にあたるので昼前に来て欲しい」と言うことになりました。これでコレクションを見られるだけでなく、栗原先生にも初めてじっくりお話ができる良い機会であるし、「大野先生はラッキーな人ですね」と、近藤さんからは不思議がられました。
栗原蘆水先生
◆いよいよ当日、ふくやま書道美術館に11時過ぎに着いて美術館の中を見学していますと、半時間ほどすると栗原先生が来られて、「一緒に昼食は如何ですか」と、美術館隣の中国料理「外灘」に案内されました。窓から福山城を望める絶景の場所に案内され、栗原先生社中の人たちと一緒に食事をすることになりました。
◆食事をしながら書画の話をするというのは極めて優雅な一時ですが、初めての人間同士の場合は、お互い緊張するものです。お客として行く私はもちろんですが、迎える栗原先生の方が、却って気を遣っていたのではないかと想像されます。といいますのも、話がとぎれるのは白けるので”つなぎ“が必要ですが、その話題なるものとして蘆水先生が持参したのは、本田蔭軒先生の「文徴明一族の墓誌銘」に関する釈読記でした。
大野氏と石永氏 ◆おそらく本田蔭軒先生を知っている人は、現在の日本ではあまり多くはないと思われます。というよりほとんど知らないでしょう。蔭軒先生がどんな人なのか、蘆水先生も知りたいと思っていたのでしょうし、京都学派に連なる小生がどれほどの者か、見定めてみたいという気もあったと思われますが、「鐵齋と関係のあった人のようですね」と、話が始まりました。
◆本田蔭軒先生は、かつて道教学会の長老理事としてお会いしたことのある本田済先生の祖父に当たられる方と聞いていましたので、少しほっとしました。蔭軒先生は青木正児先生ととともに画家をまじえて京都で考槃社を結成したことを知っていたのです。富岡鐵齋の考え方が基本になっており、考槃社の会合には学生時代の中田勇次郎先生が事務方として詰めていたことを私は中田勇次郎先生ご本人から直接聞いて知っていたからです。ただし、蔭軒先生の名は知っていましたが、書を見るのは今回が初めてなので、「貴重なものですから影印されると良いですね」と答えましたが、おそらく図録に入る日も遠くないでしょう。
呉昌碩尺牘を見る大野氏
傅山 五律草書幅 ◆約一時間半の会食の後、蘆水先生はまた稽古で、我々は収蔵庫の中で、書画を参観することになりました。例の呉昌碩が沈石友に与えた尺牘を全部見ましたが、圧巻でした。ただ沈石友の方からの返事が一通もなく、『沈氏硯林』が成立するまでの情況を復元するのは、まだ時間がかかると思われました。
◆その他、傅山の大作、虚谷、王文治、何紹基、伊秉綬の画など一級品を、石永さんのご厚意により、直接嘗めるように拝見できましたが、間違いのないこれら一級品は、作者の息づかいを感じさせてくれるもので、観るものに生命力を吹き込むものであると改めて感じました。
◆約二時間の展観の後、春の展覧を見に来ることを約束して帰りの新幹線に乗り込みました。
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