敬天齋主人の知識と遊びの部屋
推薦の言葉

 
書法漢学研究メルマガ
メールマガジン Vol.6 2008年7月25日発行
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天神祭の花火本年1月に「書法漢學研究」第2号を刊行してからちょうど半年、ようやく第3号も無事刊行し、連日発送作業を行っています。これも一重に、著者の先生方は勿論ですが、創刊号から、またバックナンバーまで遡って年間購読していただいている読者のみなさま、関係各位のみなさまのご支援、ご協力の賜物と心より感謝申し上げます。

また常備いただいております書店さま、書道用品店さま、業界雑誌・新聞などでは書評を掲載いただくなど、強力なバックアップをいただいたことにも心から感謝申し上げます。発送作業が終了次第、ご挨拶に伺いますので、何卒よろしくお願い申し上げます。

さて、京都の「祇園祭」が終わり、大阪では「天神祭」が始まりました。そして今日25日の花火大会を皮切りに、いよいよ全国では花火シーズンに突入します。今年は例年以上の猛暑が続き、知らない間に梅雨も終わってしまっていたようです。 花火芸術の魅力に心奪われそうですが、明後日からの東京出張、頑張ってきます。

【本号の内容】
 「書法漢學研究」第3号を刊行しました
 書の題材としての「詩」と「詞」−『中国書法大觀』より−  大野修作


 「書法漢學研究」第3号を刊行しました
第3号  
【論 考】 萩信雄 「開通褒斜道刻石考釈」
  大野修作 「光明皇后『杜家立成』の原書者は誰か」
  朱 剛 「呉湖帆の書学(三)」
  菅野智明 「恵兆壬『集帖目』考―中国国家図書館蔵本を中心に―」
【研究ノート】  大形 徹 「符と書道−台湾、東港鎮の符−」
  池沢一郎 「与謝蕪村と『連珠詩格』」
  伊藤 滋 「碑法帖拾遺記」
【詩吟漢詩講座】 随時募集中です。
◆読者の皆様からの、自作漢詩の投稿をお待ち申し上げています。
    


 書の題材としての「詩」と「詞」−『中国書法大觀』より−  大野修作
尾崎会長の作品
尾崎邑鵬会長の作品

今年の由源展を見に行きましたら、会場を入って正面の処に、『述書賦』を題材にした尾崎邑鵬会長の作品がありましたが(図版1)、ため書きに「大野修作述書賦全訳注の句」より取ったとあるのには驚きました。私はこれまで自分の作品、と言うより訳注をしたものですので、その読み下しを題材にされるようなことはなかったからで、少し戸惑いました。おそらく『由源』に記事を連載している関係もあるし、『述書賦全訳註』(勉誠出版刊)という拙著をたくさん購入して下さいましたので、勉強のために披閲してくださったのであろうと想像しながらも、それ以上に尾崎邑鵬会長の進取の精神には脱帽しました。

しかし考えてみれば、これは大いに有って然るべきもので、これまでの書壇にそうした姿勢がなかったことの方がおかしいのです。ほとんどの日本の書家が手頃な墨場必携などの書物に頼って、真剣に題材捜しをしてこなかったのが、恐らく最大の要因でしょう。そうした姿勢では新しい書は生まれにくく、題材としての言葉捜しが真剣に為されなければ、書の造形も甘くなります。そもそも墨場必携を持ち出して書作品を作ろうという姿勢は、日常のルーチンそのもので、真の芸術からは遠いといえるでしょう。

張廷濟作品
張廷濟が他人の
詩文を引用した証
を落款に 示している
(「中国真蹟大観」より)

とはいっても、中国の文人にとっても、書の題材を自ら作成するときは、自作の詩を作ることが基本ですが、それはやはり大切で大変なことでありました。従って他人の詩を書く場合には、「誰々の詩」と為書きをするのが普通と謂うより、エチケットなのです。そのため書きをする気持ちとしては、自作の詩が間に合わないので、仮に他人の詩を書くと謂った内心忸怩たる思いがあるのが普通です(図版2)。しかし最近の日本の書展を見ると、『墨場必携』からの引用にも拘わらず、為書きがなく、すぐに自分の署名をしているものがほとんどですが、エチケットがないというか、盗作的態度といわれても仕方のないものです。其れが問題にされないのは、恐らく、書にはお習字的な面もありますので、其れに甘えていると言えるでありましょう。

しかし文人、芸術家といわれるほどの人であれば、そうした態度は許されるものではありません。自分で漢詩漢文を創作する能力がない場合は、文人であることを辞退しなければならないのが、かつての文人の流儀でした。その漢文も散文であってはいけないというか、散文は正式な文体ではないので、詩か詞を作れなければなりません。これを痛感したのは、現代中国を代表する書家とされる啓功先生の『論書絶句一百首』を小生が翻訳して、『詩でたどる書の流れ』(二玄社刊)を出版した関係で、北京師範大の宿舎で啓功先生にお会いしたときです。

啓功先生は其の姓が愛新覚羅であるように、清朝の皇族で、普通の人がなかなか会おうと思ってもお会いできる人ではありません。ただ私は啓功先生の論書絶句の翻訳をしていたこともあるし、在外研究として歴史博物館で研修していましたが、宿舎を北京師範大に確保してもらっていた関係で、先生の宿舎から百メートルとも離れないところで住んでいました。当時私は『書の宇宙』というシリーズの中国書道史を毎月執筆していましたので、毎月、出来上がると一部を啓功先生に持参していました。

啓功先生作品
毛沢東の詩を
啓功先生が
揮毫したもの

その時の会話なのですが、建国から三百年もたつと、愛新覚羅のものであっても、「もう私は滿洲語が話せません」と言っておられましたが、そのぶん漢民族の高い文化を継承することの誇りを持っておられました。従って日頃、したためていた原稿は、時間を掛けて韻文、すなわち詩の形にしていたのです。そしてさらにそれを書として作品に仕上げているのです(図版3)。そしてそれは啓功先生に限ったことではなく、中国の文人であれば誰もが韻文を書くのが正式な書き方であるという「常識」が嘗ては生きていました。ただ現在は中国でもそれが薄れていますが、書の題材の基本はやはり韻文、すなわち「詩」です。

それに「詞」を加え、隆盛にさせたのが毛沢東でしょう。詞は詩と異なって、詞牌という楽曲に則って演奏されるのが基本ですが、国共内戦で勝利するたびに、詞を書いて勇気を鼓舞した毛沢東の戦略とその天才ぶりには目を見張るものがあります。しかし不思議なことに書道残全集のようなものには載っていません。おそらく政治的な立場を誤解されかねないという配慮が働いて、載せないのでしょうが、各地の戦跡には必ずといって眼にする毛沢東の作品ですが、何如に流行したかは、其れを模倣した作品が多いのでわかります(図版4)。詞は詩以上に、歌いかけて訴える力が強く、詩をクラシック音楽とすれば、詞はジャズのような人気と力強さがあります。墨場必携はほとんど詩ですので、そこから題材を選ぶと自ずと上品な世界に限定されるという限界を持ちます。

中国真蹟大觀
『中国真蹟大觀全27巻』

書の作品を網羅的に並べた書道全集のような著作が出版されなくなって久しくなります。かつては中国の碑の目録では趙之謙らの『寰宇訪碑録』、図版集としては楊守敬『寰宇貞石図』などがあり、それを学問的に再編した平凡社『書道全集』は日本だけでなく、中国に於いても学書のスタンダードとして大きな役割を担っておりました。しかしこの情報化時代に、日本では書跡を網羅的に見つつ、最新の情報を得るという機会がほとんど無くなってしまいました。最近復刻された同朋舎『中国真蹟大觀全27巻』は啓功先生の編集の下、現在中国の博物館が所蔵する名品を最大限網羅する現代の書道全集で、そこに収められる書蹟から、題材、落款の書き方まで、色々なことが学べます。

 


書法漢学研究 メールマガジン Vol.6  2008年7月25日発行
【 編集・発行 】アートライフ社 http://www.artlife-sha.co.jp
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