趙之? 刻字対聯
◆先日、日頃からお世話になっている先生から、刻字対聯を頂戴しました。楹聯は名所旧跡、園亭、寺廟、などでも見られますが、主に室内用として楹柱や壁面に懸けられるものです。木版や木材、竹などに、碑や帖から集字した「集碑帖聯」、古典詩などから集字した「集句聯」などがあります。
早速、大野修作先生に画像を送付し、その内容についてご教示いただきました。
◆筆者、趙之?(1781年〜1852年)は浙江 銭塘;生まれ。字は次閑・献父、号は献甫・宝月山人、室号は補羅迦室。;清朝中期の書画、篆刻家で、西?後四家に数えられる。
陳豫鐘の高弟として金石学、篆刻に通じる。書は各体に優れ、画は山水画・花卉画を得意とした。篆刻の刀法は陳鴻寿学び、特に玉の國法において名を残した。
【釈文・口語訳】
半潭秋水一房山 湖の半ばまで水位が下がった所から見える秋の山
幾?梅花数竿草 何本かの梅花に数本の草
趙之?
◆この対聯、出典がバラバラだそうで、前聯の上四句は、全唐詩・巻24「山房喜友人見寄」にある一節で、後聯の上四句は、元詩選・二集13巻「寄周子羽」の一節だそうです。
大野先生によると、筆者の趙之?くらいになると、対聯の題材であっても、自分の言葉のようにみせながら、古い出典を絶えず捜していたことが窺えるとのことでした。
◆古い木額だったので、その先生は「緑青(銅が酸化して生成される青緑色の錆)に胡粉(顔料の一種)を混ぜて着色」したそうで、拙宅において大切に保管して飾りたいと喜んでいます。
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