東林寺
◆16号発刊の前に、久しぶりに中国廬山に行って来ました。まずその情況から最近の中国の書道事情を見、そして今後の日本の書の進むべき道を考えたいと思います。まず廬山を代表する寺と言えば、東林寺になるでしょうが、漢詩連盟の会員と共に35年ぶりに訪ねました。以前訪れたときは、文革が終了して10年にも満たないときでしたので、荒れ果てて山門しか拝見できず、中には入れませんでした。ところが今回訪問してみますと、中は大雄寶殿が整備されているだけでなく、山上には七層塔が建立され、寺域が数倍に拡大されていました。山門の両脇には、宿舎を兼ねた大学か宗教研究所のようなところが整備されつつあって、台湾からの浄土宗関係の団体が集団で研修しているところに出くわしました。日本の浄土宗総本山知恩院の祖庭でもあります。
開元瀑布
◆あまりの変貌ぶりに茫然としていると、ガイドが言うには、最近中国では仏教が盛んになっているとのことでした。これまでの私は「中国は儒教の国、共産党の国」であり、仏教なんて入り込めるはずはないという固定観念的意識のままに中国を眺めていましたが、いま大変革が起こっていることを感じさせられました。中国庶民が共産党の一党支配に嫌気がさし(幹部の特権意識と汚職のひどさ等)、疑問を持っており、哲学、宗教、そして書道を必要としていることが伝わってきました。
白鹿洞書院
◆その廬山の東南には「錦綉谷」と「秀峰」が聳えますが、16号表紙に使ったのは「錦綉谷」です。断崖絶壁の景勝で仙人にふさわしいところです。また秀峰には数多くの碑が建てられています。そのなかでも大きな摩崖と言える形式のものが黄庭堅書「七佛偈」です。彼の郷里は江西省修水で、都の開封から廬山を通って、母の服喪のために郷里に帰ったと考えられますが、修水は南昌のすぐ北を流れる川です。地図では小さな川ですが、実際の修水はかなりの大河です。その故郷の悠々たる川の流れを見て、黄庭堅の詩が古典主義的な典拠を積み重ねる難解な詩人であり、一方で野生の力強さへの憧れを持っていたことを感ずることが出来ました。東林寺も秀峰も今回の論考には取り上げられていませんが、近い号で論ぜられることと思います。白鹿洞書院も回りましたが、現在の中国の書を根底から学問的に考える上で、貴重な場所でした。
能仁寺
◆さて今号は川内氏の隷書の論考は、未だ論究されたことのない新出土資料を扱っています。隷書の成立と展開に対する研究が新たな段階に来ていることを知らせてくれています。福本氏に対する記事は、単なる追悼録というより、日本の書論研究のあり方を根底から見直した先人の姿勢を、生涯を通して見直すことで、現在の書法研究があまりに中国の古典文献の研究から離れてしまっていることを、改めて示してくれています。
◆また鄭孝胥と長尾雨山の碑は京都東山山麓の風光明媚なところも文人関係の遺蹟の多いとこであることを改めて知らせてくれます。更に山本竟山の手紙は、明治・大正・昭和初期のこれまで全国的にはよく知られなかった関西書壇の情況を垣間見せてくれる貴重な資料です。今後も竟山関係の手紙は陸続と連載されることを期待したいと思います。呉竹・綿谷さんの膠の話は、製造者でないと語れない奥深い内容で、今後とも文房の世界にも、メスを入れてゆきたいと思います。
潯陽江
縢王閣
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