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書法漢学研究メルマガ
メールマガジン Vol.19 2015年8月3日発行
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中国株式市場暴落 中国では株価大暴落が引き金となりリーマン・ショック、ユーロ危機に続く大金融危機を迎えました。僅か1ヵ月間で2億人もの資産家が1,000万円以上の財産を失ったと言われています。中国で2億人以上と言われ、全体の82パーセントを占めると言われる「股民(個人株主)」たちが、全財産を失って飛び降り自殺する事件が中国全土で続出、飛び降り自殺を意味する「跳楼」という単語がにわかに流行語になっています。
 そこで、中国で6億人以上が使用しているSNS「微信(WeChat)」で、このような小話が飛び交っています。管理人に高層マンションの屋上に上がりたいと話したところ、損失額によって通す階が違うそうで、50万元(約980万円)なら2階まで、100万元以上で3階、500万元以上で4階、1,000万元以上損したVIPは5階以上の階に通すという小話です。
 中国当局(証監会)が、
  ・新規株式公開(IPO)社数の大幅削減
  ・上場企業トップの自社株売りを6か月間禁止
  ・空売り口座を1か月取引停止
  ・担保金率を10パーセントから20パーセントまで引き上げ措置
など、矢継ぎ早に打ち出した株価対策によって一応の落ち着きを取り戻したようですが、人為的措置で相場が下げ止まらないと言われています。巨大なかつ猛スピードで発展する現代中国、そしてその資本市場が、これからどのような展開と成長を迎えるか、専門家やアナリストは注目しています。
 「書法漢學研究」メールマガジンvol.19をお送りします。


【本号の内容】
 「書法漢學研究」第17号のご案内
 湯川秀樹と山本竟山 −大野修作−
 墨色研究取材記 −敬天齋主人− 

 「書法漢學研究」第17号のご案内

 今号は日本にテーマを充てた内容の論考、研究ノートが多くなっています。予定していた著者の脱稿もあり、時間的に大慌てとなりましたが、発行期日を遅延するコトなく、なんとか読者の皆様にお届け出来ました。
 表紙の写真は江西省九江市内にある禅宗系の寺「承天院」、九江の四大名刹の一つです。主幹・大野修作先生が昨年10月、漢詩の会のメンバー数名を引導され、漢詩の名所を訪ね歩かれたときのスナップ写真です。

書法漢學研究第15号  
【論考】 頼山陽の「渉成園記」をめぐって 大野修作
台湾日治時代における山本竟山の活躍とその影響  香取潤哉
  三浦英蘭とその漢詩をめぐって 森岡ゆかり 
【論説・資料紹介】 改組新第一回日展会員賞「災後三年五浦有感」 吉澤南樹
  筆のこといろいろ 久保田哲暁
  「折口信夫生誕の地」石碑(前編) 花田尊文
 
 
 湯川秀樹と山本竟山 −大野修作−
小川環樹先生揮毫
小川環樹先生揮毫

『書法漢学研究』第17号をお送りします。今号は日本のものが多くなりました。中国との文化交流もかつてほどには盛んではないようですが、中国側の急激な経済発展ほどには文化の発展は期待出来ず、オークションなど経済活動の方に目が向いているというのが現状ではないでしょうか。それでも一昔前までは、文化人と云えば漢詩を作り、書を書いたというのが通例であったようですが、それも分からなくなって居るようですので、そうした紹介も兼ねて、今号では日本物が多くなったような気がします。江戸時代の頼山陽の「渉成園記」、女流詩人の三浦英蘭など、これまで紹介されたことはないと思います。そして台湾時代の山本竟山です。

山本竟山と云えば、日下部鳴鶴の弟子としてのみ捉えられ、実像が能くわからないままでした。関西ではそれなりに名を知られていますが、関東でその名を知る人は多くないでしょう。しかし「碑学派」というものを考えた場合、本来の楊守敬が日本にもたらした碑学の本流と言うべきものは、山本竟山に最もよく残っているというのが、私の考えです。鳴鶴の弟子の比田井天来を中心とする書の団体は大きくは成りましたが、天来流とも称すべきものに変質し、と言うか日本化して、本来の碑学の姿を留めるものではありません。

それに対し、山本竟山は深く碑学に傾倒して、京都を中心に大きな石碑を碑学風な書で残してくれました。「豊国廟」碑などは毎日見ながら通っていましたが、私の学生時代の恩師・小川環樹先生が山本竟山の弟子であることを知っている人はどのくらいいるでしょうか。もちろん其の兄の湯川秀樹、貝塚茂樹先生も、竟山の弟子です。

三兄弟揃って竟山の弟子でしたので、みな書がうまかったのはお世辞ではありません。最も本格的に中国の碑学を学んだのが小川環樹先生で、重厚な書は『京都大学人文科学研究所漢籍分類目録』題字等に見ることが出来ます。湯川先生は流麗な書で、京大書道部展などで頼みに行くと、よく揮毫されるのは和歌などでした。貝塚先生はきっちりした楷書を書かれました。この三兄弟を書道の面で引き継いでいたのが大阪の泰山書道院で、湯川先生の奥さんの湯川スミさんは、長いこと泰山書道院の名誉顧問をされていました。

その山本竟山は前半生を台湾で過ごしましたが、其の詳細が之まで分かりませんでした。香取潤哉氏は現在台湾に居住していますが、地の利を生かして詳細に台湾時代を追跡されました。当時は台湾に居住していても大陸に行き来が出来、大陸と台湾の書道の双方が学べるという貴重な機会を活かしきって、碑学の書家として大きな成長を遂げたのが、竟山であるとの結論を導きだしました。湯川秀樹、小川環樹先生などが学ばれたのは竟山の後半生ですが、よき指導に恵まれたという気がします。


 
 墨色研究取材記 −敬天齋主人−

よく書作品を書くときに、墨を磨った方がいいのか、墨液でも構わないのかといった議論になります。つまり、固形墨と墨液の違いですが、分かりやすく言えば、固形墨はお母さんが作る家庭料理、墨液は誰が作っても同じ味のインスタント食品と言えば分かりやすいでしょうか。僕は個展や人様に差し上げる作品などには、是非、きちんと磨った墨を使って欲しいなと思っています。

その理由は精神的な要素が強いというのもありますが、近年、墨液のレベルが高くなってきたものの、繊細な発墨で作品効果も上がることなどが考えられるからです。




その墨色の出し方について、非常に神経質になる書道家もいらっしゃいます。もちろん、紙との相性もありますが、墨色の出し方はとても奇奇怪怪で、作品に与える影響は非常に大きいです。一例を挙げれば、墨を磨るときにどの硯で磨るか、水温はどうか、硬水か軟水か、宿墨にするか、いろいろな条件で発墨が変わると言われます。

最近、墨色に関して、墨色、発墨(墨の力)、滲みの美しさ、などなど様々な観点から研究されている書道家に、予め古墨をお預けしておき、後に実験例の報告を受けながらお話を伺ってきました。近世の書道家で墨色の出し方が天才的に上手かったのが手島右卿と言われていますが、その方は右卿の流れを汲む方です。その古墨は側款に「胡子卿」とあるように、名墨匠・胡開文の末裔の手による製墨です。この人物は名を貞権、字を允中、同治13年(1874年)に生まれた墨匠で、本品は経年の痛みや本金の沈みなどがあるものの、既に110年を経過したものであると判明しました。


墨色テストの結果、膠が“枯れすぎ”ているそうで、数回のテストで美しい墨色は得られなかったそうです。そこで「膠を加え」て試みたところ、写真のような力強い発墨を得られたそうです。少しの工夫で墨そのものが蘇ったかのような力を得られるのだそうです。その後、水を加えた淡墨のテストも行い、最も効果が高いと思われる墨色を探し出すというお話をお聞きし、書道家が一つの作品を作り出す「一工程」であるものの、その奥深さを感じさせていただきました。

 


書法漢學研究 メールマガジン Vol.19  2015年8月3日発行
【 編集・発行 】アートライフ社 http://www.artlife-sha.co.jp
540-0035 大阪市中央区釣鐘町1-6-6 大手前ヒルズ209
  Tel:06-6920-3480 Fax:06-6920-3481
差出人: 敬天齋主人こと近藤 茂   
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