◆書法漢学研究・メルマガ21号をお届けします。19号・20号が合併号でしたので、21号が定期刊行にもどれてほっとしています。今号は大きく二本の論考・紹介を載せることが出来ました。
◆衣川氏の「一山一寧」に関する論は学術的に深い内容を持っています。一山一寧は日本に来朝し、元の国書を鎌倉に奉呈しましたが、伊豆の修善寺に幽閉させられたりしました。 しかしやがて疑惑が解け、彼の学問の高さ、禅理解の深さが広く知られるようになると、建長寺に住持し、ついに後宇多上皇に召見せられ、南禅寺に住し、公家以下みなその道光を仰ぎました。虎関師錬、夢窓疎石らがその派下であることから知られるように、日本の五山文学の興隆に大きく貢献しました。書では「雪夜の詩」や「固山一鞏に与える法語」などにみられる漢字の格調の高さは、なかなか説明しにくいものでありました。いや「説明する」という姿勢そのものが問われる修行の高さがあるわけで、一山一寧は日本書史の中でも、開拓者でもあり、その位置づけに困る存在でありました。本稿はその修行の高さに、正確な語録の注釈という形で肉薄しようとしている意志が感じられます。
◆富田氏の「利榮森」に関する論考は、収蔵家・鑑定家である香港の利榮森をとりあげて、一昨年、香港中文大学で開催された「北山汲古・中国書法展」「北山汲古・碑帖銘刻拓本展」の意義を説明してくれています。利榮森氏はジャーディン・マデソン商会を引き継ぐような形で事業を拡大させ、書画文物の収蔵鑑定にも意を注ぎました。その行為と業績は、ちょうど清朝中期に広東の収蔵家を引き継いで拡大させたような形と言えます。清朝時代、西洋貿易を独占していた広東の経済力はすごいもので、幾多の富家が輩出しましたが、此の経済力を背景に書画鑑賞の機運がさかんになったことは注目に値する事実です。広東の賞鑑家の筆頭にあげるべきは呉栄光です。蒐蔵品は「?清館」を築いてこれを収蔵しましたが、道光十年(1830)、恐らく湖南府政使在任中に、所蔵の古拓、真蹟を模勒上石して『?清館法帖』六冊を造りました。また『辛丑銷夏記』5巻は、呉栄光が四十三年間にわたる官場生活中に獲得した書画と偶目の機会のあった書画を録載してそれに解説を加えたものですが、辛丑はアヘン戦争の最中の道光二十一年にあたり、孫承澤の『庚子銷夏記』につづけるという意味で辛丑と名図けたと言われます。その考証の正確、博大なることは、庚子銷夏記、江邨銷夏記に比して一段と優れると言われます。広東の賞鑑家では、呉栄光と同時代では葉夢龍がおり、潘正?がこれに続き、更に孔広縺A伍元宦A孔広陶らがでたことは知られていますが、富田氏の利榮森の紹介記事は、もちろん香港中心に論じられており、現代の東南アジア史、中国史、そして書画鑑賞史そのものといえます。
◆松宮氏の「郭沫若」の書風についての考察は、北京の「故宮博物院」の題辞、また私が研修していた頃の「歴史博物館」(現在の国家博物館)の表札などから知られるように、現代中国を代表するような有名な文人書家ですが、その郭沫若というあまりによく知られた存在だけにあまり注意が行き届かなかった書に対して、変化と定立を考察した新しい試みと言えるでしょう。
◆また長尾雨山の漢詩集の連載、?庭堅と沈遼の交遊研究の翻訳、さらに花田さんの訪碑漫歩の連載など読み応えのある物も揃っています。
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