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メールマガジン Vol.23 2018年9月9日発行


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【本号の内容】
 「書法漢學研究」第23号のご案内
 「書法漢學研究」第23号発行にあたって −大野修作−
 国際シンポジウム「須磨蔵寶・宋元餘韻」 −近藤 茂−
 メディアから見た在日中国藝術品の収蔵 −近藤 茂−

「書法漢學研究」第23号のご案内
書法漢學研究第23号  
【論考】
中日禅宗墨迹研究 韓 天雍
新資料 ― 包世臣に宛てたケ石如尺牘について 遠藤昌弘
一九五〇年代後期から六〇年代前期にかけての郭沫若の歴史学行政・視察旅行と詩、そして書 松宮貴之
【論説・資料紹介】
中田勇次郎『?庭経諸本の研究』を読みなおす 大野修作
「日本の書道文化」をユネスコの無形文化遺産に 坂本敏史
 
 
「書法漢學研究」第23号発行にあたって −大野修作−

お待たせしました。書法漢學研究23号をお届けします。本誌も時代の流れに無関係では居られませんが、今年上半期の書展では、西川春洞展と山内觀展が印象に残りました。?に遺墨展ですが、最近の会派主体の展覧会とは大きく趣を異にしていました。その最たるものは落款がきちんと書かれていることです。要するに落款は「誰が何時、何を何処で」書いたのかが分かる必要があり、それが存在証明になって居ます。ところが最近の展覧会では、落款無しで印章だけというのもありますが、漢文で落款がきちんと書けないのが実情のようです。本誌はそうした情況に抗して、基礎的漢文の教養を掘り下げて提示しようと志しています。

本号は論考では韓天雍氏の禅僧の墨迹の研究が目に付きます。「墨迹」は日本では貴重視されますが、中国本土では異端視されていて、あまり研究も進んでいません。平安の仮名文化が行き詰まりを見せていた日本では、中国本場の本物であるだけに、いっそう魅力にあふれていました。圓悟禅師の門下には虎丘紹隆と大慧宗杲の二大学派は、また虎丘紹隆の再伝の弟子である密庵咸傑門下では、さらに松原崇岳、破庵祖先と曹源道生の“三傑”が鼎立しましたが、宋代禅僧の代表と言われます。このほか、この法系に属する著名な高僧にはさらに無準師範、痴神道冲、虚堂智愚、古林清茂らがいますが、書に於いても見本と成るような宋代の尚意の書風に影響をうけた格調の高い墨迹作品を残しています。しかし鎌倉時代以降、ずっと日本に直接影響を与えたのは彼らの弟子或いは法孫――兀庵普寧、蘭渓道隆、無学祖元、一山一寧、大休正念、清拙正澄ら、日本に赴き、本国の中国に帰らず、日本帰化した宋元の帰化僧です。彼らは日本に臨済禅を伝入させ、宋代の禅宗叢林制度と宋明理学を移植し、中国の先進文化および中日両国の文化交流に対し、巨大な貢献をしています。佛教の思想は日本人の心霊の深いところまで浸透し、日常の文化と生活にまで影響を与えました。その意気込みも手伝って「墨迹」は日本では歓迎を受けましたが、中国では却って冷遇を受けました。この一見奇妙に思える事実を、冷静に叙述できているところが、本稿の特色でしょう。

つぎに清朝中期から、人民共和国成立に掛けてのもので、ケ石如と郭沫若についての資料の読み込みで、参考となる論考です。遠藤氏の「ケ石如が包世臣にあたえた尺牘」の研究は、尺牘という微妙な関係性で成り立つ師弟関係のなかでも、刻印・書作の依頼やその支払いが滞りなく行われたものと考えられ、両者が師弟関係に止まらず、経済的な支援者としての側面も持ち合わせることを、見事に読み解いています。

また松宮氏の「郭沫若研究」は、1950年代から60年代にかけての、「郭体」の変遷を中心に述べていますが、『考古通訊』から『考古』と改名され、現在まで存続している有名雑誌の題字は、郭沫若の手に、なることは明らかですが、『考古通訊』の文章文字は、1955年5期までは繁体字が用いられましたが、1956年第一期から第一次簡体字が用いられています。この現象は共和国建国から三年後の1952年、簡略字体の議論を受けて、漢字研究の機関として「中国文字改革研究委員会」が設立、1954年に憲法が制定されました。そして政務院が改組されるなど新体制への変遷の中で、1955年、『漢字簡化法案草案』が発表されますが、それらの動きと見事に一致して変遷を続ける、郭沫若の政治判断に超敏感な体質が意図せずにあぶり出されているのは、却って面白いと言えるでしょう。

書道の方面のふしぎの一つとして、日本では中田勇次郎先生の「?庭経諸本の研究」という論考について長年書評されたと言うことを全く聞いたことがありません。まず中田先生がなぜこのような書論を発表されたのか十分な説明を聞いたことがありませんし、そもそも黄庭経がいかなる書物なのかきっちりとまず校勘することで概略をつかもうとされて出発したのではないかと推察されます。この論文は『中国書論集』(二玄社刊)という大部な書物に収められる論考で、かなりの数の人に見られているはずですが、不思議なほどに論争の種になることはありませんでした。中田先生のこの本の難しいところは何を書いてあるのかがわかりにくいところです。要するに道教関係の理解が浅いとわかりにくいのですが、本書が書かれた頃はまだ道教研究は緒に就いたところで、『?庭経』の外経であるか、内経であるのかも区別が付かなかった時代なのです。『?庭経』は王羲之の書写を通じて書家をはじめ、我々日本人にも馴染み深いものがありました。しかし一歩踏み込んでみるとその内容たるや難解窮まりないのです。通説では『?庭経』を一万遍読誦すると、鬼神を見抜き、臓器を内視できるようになり、?庭真人と東華玉女が神仙と成る方法を授けてくれる、と注釈の序文に書かれているように、『?庭経』の最高目的は道教のそれでもある不老不死の神仙になることなのである。東晋の神降ろしの記録である上清派の経典である『真誥』でも?庭経は重視されており、つまるところ、『?庭経』なる経典は誦読することが重要なのであり、そのほかの修行はあまり必要なさそうです。

『?庭経』の名は東晋・葛洪の『抱朴子』内篇にみられ、王羲之が書写した『?庭経』( 外景経)は永和十二年(356)に遡ることが出来ます。現行の『?庭経』は、全体が七 言の韻文で構成されており、『?庭外景経』と『?庭内景経』の二種類の版本があります。 『?庭外景経』は計194句(雲笈七籤本は196句)、『?庭内景経』は全36章、計437句あり、互いに一百句以上の対応関係が見いだせます。『外景経』と『内景経』の成立 の前後については諸説有りますが、中田先生の本が出た時代、まだその研究は進んでおら ず、結局、中田先生はすべての版本を網羅するように検討してゆきました。現代では、先 に『?庭経』の名で流布していた『外景経』に上清派の道士が新たに自派の教説などを取 り込み、増補して再構成し、これを『内景経』と呼び、前からあるものを『外景経』とよんで区別したという説に則って改めて見直し、これまで見落とされている領域に光が当たったと思っています。

坂本敏史氏「日本の書道文化をユネスコの無形文化遺産に」は、これまでのその運動を振り返られるよう、まとめていただきました。


 
 国際シンポジウム「須磨蔵寶・宋元餘韻」 −近藤 茂−

9月2日(日)、大阪蝸廬美術館において「須磨蔵寶 宋元餘韻」展が開幕、その前日には国際シンポジウムが開催されました。中日を代表する学者、研究者、テレビ局、経済人などに交じって、僭越ながら小生も講演をさせていただきました。小生に与えられたテーマは「メディアから見た在日中国藝術品の収蔵」で、小生が携わって来た中国藝術品の伝来経緯や書道出版の状況や事情、画像を交えながらお話ししました。
 その他、大変、有意義でためになるお話をたくさん、聞かせていただきました。

国際シンポジウム(国際学術研討會)
「須磨蔵寶・宋元餘韻」プログラム

2018年9月2日(日)
 10:00〜17:30
会場:大阪蝸廬美術館
  上 明先生
【オープニング】
上 明先生(蝸廬美術館 館長)

【第1部 基調講演】

会場の模様
会場の模様

王魯湘先生
王魯湘先生(中国著名文化学者、斎白石研究編集委員会 委員)
「民国文人画と中国近現代文化(民國文人畫與中國近現代文化的傅播)」
  西上 実先生
西上 実先生(須磨コレクション研究家 前京都国立博物館 学芸部長)
「須磨弥吉郎コレクションについての研究 (有關須磨彌吉郎收藏的研究)」

邵彦 女士
邵彦 女士(中國中央美術學院人文學院副教授)
「中国国外における宋元絵画の収蔵状況(海外收藏與中國宋元繪畫的面貌)」
  李庚先生
李庚先生(京都造形藝術大学 教授、李可染画院 執行院長)
「斎白石 山水画の特徴 (齊白石的山水畫特點)」


【第2部 基調講演】

萩 信雄先生
萩 信雄先生(安田女子大学 教授、書学書道史学会 諮問委員)※ビデオ出演
「斎白石の書と印(齊白石的書法和篆刻)」
  許禮平先生
許禮平先生(香港著名文化学者、香港翰墨軒 主人)
「須磨コレクションの香港展と民国書画を振り返る(須磨藏品香港展及民國書畫收藏掌故)」

近藤 茂
近藤 茂(有限会社アートライフ社 代表取締役)
「メディアから見た在日中国芸術品の収蔵(有關在日中國藝術品收藏的傳播與介紹)」
  唐勇剛先生
唐勇剛先生(中国中央美術学院 美術史博士)
「民国絵画から見た日中文化交流〔民國繪畫與中日文化互動(書畫收藏方面)〕」

【第3部 パネルディスカッション】

パネルディスカッション
西上 実先生(須磨コレクション研究家 前京都国立博物館 学芸部長)
持田総章先生(大阪藝術大学 名誉教授)
近藤 茂(有限会社アートライフ社 代表取締役)
王 魯湘先生(中国著名文化学者、斎白石研究編集委員会 委員)
李 庚先生(京都造形藝術大学 教授、李可染画院 執行院長)
許 禮平先生(香港著名文化学者、香港翰墨軒 主人)
唐 勇剛先生(中国中央美術学院 美術史博士)
馬 静女士(北京民国画事文化傳媒有限公司 代表取締役)
  孔怡(NHKキャスター)
通訳進行:孔怡(NHKキャスター)

集合写真


集合写真
 
 
 メディアから見た在日中国藝術品の収蔵 −近藤 茂−

※本稿には中国語版があります。

日本に伝来した中国書画の歴史的経緯についてその歴史は古く、まずは禅宗僧侶の書「墨跡」にまでさかのぼります。平安時代末以降、南宋・元に渡った日本の禅僧は修行の証として、臨済宗楊岐派の高僧の書などを持ち帰りました。また幕府の招聘を受けて来日した中国僧も数多くの宋元時代の書画を持ち込み、当時の書院や茶室において、日本人の趣味にもとづく新たな鑑賞法や価値観を生み出しました。次に足利将軍家のコレクションとして南宋を主とする中国絵画「東山御物」で、六代将軍義教(在位1428〜1441)の代に最も充実した唐物コレクションが挙げられます。

明治以降になると、日清修好条規の締結(調印1871)を契機とした日中文化交流、義和団事件(1900)、辛亥革命(1911)を契機とした中国文物の流出を背景に、宋から清に至る本格的な書画の精品が日本に少なからずもたらされました。中国本来の文人趣味を理想とする優れた作品が陳介祺や楊守敬、羅振玉らによって持ち込まれた名品は、中国の書画の神髄を示しており、これらの文人志向の作品は経済人や愛好家による旺盛な蒐集を大いに刺激しました。

関西の中国書画コレクターたち
関西の中国書画コレクターたち

日本における中国書画コレクションを大別すると、
一、五島美術館、静嘉堂文庫美術館、台東区立書道博物館、篆刻美術館、東京国立博物館、根津美術館など関東主要六美術館
二、和泉市久保惣記念美術館、大阪市立美術館、観峰館、京都国立博物館、黒川古文化研究所、泉屋博古館、澄懐堂美術館、藤井斉成会有鄰館、大和文華館など関西主要九美術館
三、澄懐堂美術館(三重)、福山書道美術館(広島)など地方で中国書画に特化した美術館
が挙げられますが、特に文人志向の作品は関西独自の文化的な土壌とマッチし、中国書画は関西の経済人や愛好家による旺盛な蒐集を大いに刺激しました。それら関西におけるコレクションを大別すると、
一、上野理一、阿部房次郎、山本悌次郎、黒川幸七、藤井善助らのコレクションのように宋元明清の時代全般に亘るもの
二、住友春翠、大和文華館庫のように、宋元明清の全般と、例外的に江戸以前の舶載品を収集したもの
三、住友寛一や橋本末吉のように明清時代に特化して専門的に収集したもの
四、須磨彌吉郎、原田観峰、林宗毅コレクションのように近現代に特化して専門的に収集したもの
と、この四つのグループに分類されます。これらのコレクションのなかで幾つかの書画の名品は大阪市立美術館や和泉市久保惣記念美術館を始め、澄懐堂美術館、黒川古文化研究所、観峰館、泉屋博古館、藤井斉成会有鄰館、大和文華館などに本人や遺族が寄贈した例も多くあります。例を挙げれば阿部房次郎、上野理一、黒川幸七、住友寛一、橋本末吉、原田観峰、藤井善助、山本悌次郎、林宗毅などが挙げられますが、今回展で取り上げる須磨コレクションは、外交官・須磨弥吉郎(1892〜1970)の蒐集品を指します。

同氏は日本に帰国した際、大量に蒐集した中国書画を国立京都博物館に寄託されましたが、そのコレクションは一点ずつ作品のサイズに合わせて作られた紺色の布袋に入れられ、白い布にタイトルと自らの署名を書いて縫い付けています。そしてそれらが概ね作家ごとに保管されていたことで散逸を避けることが出来ました。コレクションの内容から、弥吉郎が近代中国の画壇、美術交流を鳥瞰して収集したものであることは明白ですが、近年、美術オークションに出品されている大家の作品は、その作家の評価が安定した時期以降の物ばかりで、ともすればマンネリ化した作品なのです。ところが、弥吉郎は張大千、斉白石、徐悲鴻、劉海粟といった「巨匠」たちの作品であっても、自らの鑑識眼を頼りにコレクションしていますから、各々の画家の画風形成期の葛藤、画風の振幅など、作家として完成されるまでの非常に重要な作例を見れることが大きな特徴であると思います。

陳衡恪
陳衡恪

1922年、東京で開催された日中共同絵画展に陳衡恪(1876〜1923、号は師曾)が白石の作品を出展したことをきっかけに、白石の国際的評価が高くなりました。その後に膨大な白石コレクションで知られるようになる須磨弥吉郎は、中国駐在時代に白石の重要な後援者として白石の作品を大いに蒐集しました。白石の作品の特徴は、海老、蟹、鶏、蛙、トンボなど生き物をシンプルに描くことと、草花、花鳥、昆虫、山水などを組み合わせ、濃い色彩と自由闊達な水墨を用いて生き生きと描くところにあります。白石は陳半丁、陳師曽、凌文淵とともに京師四大画家と称されましたから、当時、国内でも彼の名はある程度、知られていますが、「衰年変法」、つまり大器晩成の画家であったと言えます。

これらのコレクションのなかで幾つかの書画の名品は公の美術館、博物館などに所蔵されていますが、頻繁にお目にかかる機会は滅多になく、実質的にはデッドストックと言ってもよい状況と言えるでしょう。この状況を一変させたのが最近一〇年くらいの間に、日本で急激に開催され始めた中国美術オークションや、東京美術倶楽部や大阪美術倶楽部などの即売会、さらに古美術商らの間で開催される古美術交換会などで、明治以降の書畫売立目録や出版履歴のある個人コレクションの珍奇名品が一気に市場に出品されるようになったことです。コレクターも長い時間をかけて蒐集した従来までとは違い、豊富な資金や確かな鑑識眼を持つ愛好家やバイヤーの元に集中して買い漁られるようになりました。

中国書画は伝統を大切にし、過去を学びながら新たらしいものを生み出してきました。戦火や文革などをくぐり抜けて日本に伝来した長い歴史や文化財としての価値の高い名品は、多くの人を動かす力があると言えるでしょう。これら藝術品をより多くの方に知らしめるため、企画展、展覧会などで図録の出版、また美術家、書道家、愛好家を対象に、学ぶべき資料的価値の高いものについては様々な出版があります。かつては全数十巻といった大型全集や豪華本が中国同様、我が国でも行われました。例を挙げれば、平凡社の「書道全集」、「中国書道全集」、同朋舎出版の「書学大系」、「中国石刻大観」、「中国真蹟大観」、二玄社の「書跡名品叢刊」、「中国法書選」、「宋元明清書法叢刊」、「原色法書選」、柳原書店の「歴代名家臨書集成」、「中国歴史博物館蔵法書大観」などがあり、中国書道文化普及に大いに役立ちました。しかしながら、1990年代後半から我が国は少子化、趣味の多様化に加え、活字文化の衰退、インターネットなどの普及によって美術系大型本の出版は完全になくなりました。書道人口の減少を目の当たりにし、書道出版社は倒産、撤退を余儀なくされましたが、それでも日展、読売新聞、毎日新聞を中心とした書道の公募展覧会は継続して行われており、展覧会の題材とするべき学書の対象である中国古典の重要性は変わりありません。一般的に習うべき書の古典は、既に様々な形態で出版されていますが、不思議なことに我が国では斉白石に関する手習本、工具書と呼ばれる出版はありません。想像の域を出ませんが、日本の書壇をリードした大家には、前述しますが題材として選んだ生き物など日常的な題材を作品にした斉白石の藝術感が“俗っぽい”として文人嗜好の書道家に受け入れられなかったと思われます。実際に有名書道出版社から斉白石の手習本の出版履歴がありません。そういう意味でも新たな作風に挑戦しようとする書道家にとって未見の出版は待ち遠しいと思われます。


そこで、弊社は既に出版履歴のある古典の出版ではなく、民間で蒐集され、過去に中国、日本において出版履歴のない珍貴資料を探し出し、「民間に眠る名品」としてシリーズ化しています。 全頁オールカラーで図版は全体と原寸にて紹介、跋文・収蔵印などツ印についても余すところなく影印、さらに 装丁、箱・箱書、題箋など、蒐集品の伝世経緯や、それが作られた時代を表す要素についてまでオールカラーでご紹介しています。そして釈文、読み下し、解説を付すことで読者の理解を得るようにしています。過去の出版物を挙げると、「王鐸唐詩六首手巻」は、長尾雨山蔵であったのが日本に入り、古くなら個人蔵だったものを初公開しました。 内容は杜甫の詩を五首、李★(斤+頁)の詩を一首、流麗な草書で巻子に書いています。「劉石庵書李白詩詞巻」は、李白の古体詩の一種「憶秦蛾」「菩薩蛮」を行書風に書いたものを初公開しました。「董其昌草書巻」は、董其昌が庚申7月末(1620年:65歳)のときに揮毫したもの、董其昌は「臨・張長使(旭)狂草」としています。我が国を代表する大家・西川寧の旧蔵本です。「文徴明沈周書畫合巻 清国墨眇亭舊蔵 羅振玉題」は、明代の沈周が書いた畫と文徴明の詩書の合作という珍貴資料です。題材は沈周と文徴明が支y山を遊歩した様子を、沈周が畫と五言律詩に表し、その後50年を経て文徴明が七言律詩を書いた、跋文を含めて七メートル近い長巻を折本仕立てにしました。

「于右任草書般若心経」は、中国大陸と台湾が厳しい緊張関係にあった民国42年(1953)、于右任が75歳のときに書いた「般若心経」で、于体草書を学ぶ基礎資料とするべく公開したものです。「文徴明草書詩巻 清国羅叔言舊蔵 内藤虎署」は、本巻は高島屋創業一族である飯田家旧蔵で、文徴明が自作詩を四首、行草書で伸びやかに書いた珍貴資料で、現存する文徴明の書で、これほど伸びやかで溌剌な書風で書かれた作品は多くないと思われます。巻末の羅振玉、内藤湖南の跋文も全文掲載しました。「呉昌碩手札詩巻合刊」は、呉昌碩尺牘一六葉冊、輓蘭匂詩稿四葉冊、呉昌碩尺牘八葉冊、田軍門求己圖詩稿/手札の四つの尺牘と詩稿を合刊し一冊にまとめたもので、呉昌碩の卒意の尺牘(手紙)を通じて日常の筆跡を知る最高の資料です。「中国名家書翰選粋Ⅰ、Ⅱ」は、中国明清朝期に活躍した13名の書家の尺牘、詩翰、詩稿、原稿などにスポットを当て、原色原寸で紹介しました。

また、個人蔵であっても学術的に価値の高い出版物として「鴨雄緑齋蔵 中国古璽印精選」がありますが、篆刻家、中国古璽印蒐集家である菅原石廬氏(鴨雄緑齋)所蔵古璽印から、資料的・造形的に価値の高い400方を精選、印鈕・印面・印影をオールカラー原寸で掲載しました。「?齋藏古陶文選」は、清末の金石学者・大収蔵家である陳介祺が蒐集した陶文のうち、陳介祺第六世子孫宅で発見された拓本457点(戦国陶文363点、秦漢陶文94点)を、時代(戦国・秦漢)、官営・民間製作、出土地等に分類整理、カラー図版を交えすべて原寸で収載しました。「澄泥硯‐歴史とその実体‐ 」は、四大名硯の一つ「澄泥硯」の実体は明かでなく、これまで多々論じられてきたが定説がないことから、文献・出土報告等を精査、再検討し、魏晋南北朝時代から現代まで140点余りの図版資料を提示し、澄泥硯の歴史的変遷を実証的に明らかにしました。「三清書屋筆譜」は、書家・公森仁氏が蒐集した多種多様な328本の筆を精選し、図版編では328本の筆をオールカラーで紹介、解説編では筆の里工房特別研究員・村田隆志氏の論考と名品解説を付しました。これらは将来、専門的に書を学び、論文発表する研究者や学者が「引用を避けて通れない出版物」を目指す弊社の経営方針の表れでもあります。

斉白石
斉白石

斉白石は「祀三公山碑」「天発神讖碑」など古典の学書と共に、徐渭の奔放で自由闊達な溌墨、石濤、八大山人のシンプルでありながらも深淵な筆法、そして呉昌碩の大胆な書法などを取り入れて「紅花墨葉」と呼ばれる画風を確立しました。作家の出自や教養を自慢する人たちから差別的な扱いを受けてきた斉白石は、古畫や作画の教本を頼りに、他人の模倣に終始し、己の個性や創造性のない山水画に不満を持っていました。しかし、そのような連中から白石独自の奇抜な山水画を大画家の作風と比較して批判されてきました。そのコンプレックスから寸暇を惜しんで詩文や教養を身につけ、古画や画譜を模写し、同時に四〇歳頃から5回にわたり、桂林をはじめとする中国各地を行脚して景観を銘記し、優れた伝統芸術を実見して芸術家としての視野を広げました。その努力の結果、非常に個性的な山水を創造し、ついに俗人の批判を覆す境地に達したのです。





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