◆「書法漢學研究」第26号をお届けします。
本号に収める萩氏の文は訳注と名がついていますが、実質は『淳化閣帖』の祖となった孫承澤『闔メ軒帖考』の昇元帖、澄清堂帖等に対するもので、それぞれの注が論考の重みを持っています。なぜかというと嘗て日本では法帖というのは書画骨董の一部であり、書道史を含めた考察の対象には入っていませんでした。法帖による書道史を構想されたのは中田勇次郎先生の『王羲之を中心とする法帖の研究』(二玄社)が戦後の最初の精華といえ、それまでは我々日本人は林志鈞『帖考』や容庚『叢帖目』などを使うしかありませんでした。出版元も中国の日本の国交のない状況でしたので香港から出たもので、歯がゆい思いをしていました。歴博の史樹青先生が林志鈞と交友があったと言うことを直接聞いて、実際に存在したのだという不思議な感覚を思い出します。本訳注はいわば文献と実物鑑定に精通した萩氏以外では書けないものです。日本では法帖學はなかなか成立しませんでしたが、法帖は書道史の知識と、拓本の善し悪しという書画骨董に通ずる両眼を持たないと、容易には法帖の中から重要な情報を引き出せないからです。
◆次に川内佑毅氏のものは、日本統治下の台湾の篆刻事情を精査し活写するもので資料的に貴重です。具体的には趣味同人会編『拾逸印集』に関する調査を行なったもので、台北帝大で教鞭を執った石原西涯の旧蔵図書「石原文庫」の一つです。趣味同人会の発起人の尾崎古邨、石原西涯の二人は、日本統治下の台湾における篆刻活動のキーパーソンであることはもちろんで、詳しくは論考を見ていただきたいのですが、私が期待するのは本稿が戦前、日本統治下における台湾の書道研究の状況を切り開くかもしれないという期待です。と言いますのも戦前、山本竟山が台湾総督府に一等書記官として赴任していたこと、また神田喜一郎先生が台北帝大で教鞭を執っておられ、平凡社書道全集の構想はそこに於いて練り上げられたと聞いています。特に大事なのは、山本竟山は台湾から直接何度も中国大陸に出かけ、呉昌碩、王一亭らの文人と交流し、碑学の拓本、文献を大量に持ち込んでいる事実があるからです。竟山は我が恩師・小川環樹先生や湯川秀樹先生の書道の先生で、中国碑学が台湾経由で日本にもたらされた比率は想定以上に高かったのではないかと言うことです。また十五年ほど前に台湾大学で講演することがあり、神田先生の研究室(当時は葉国良先生の管理で保全されていた)を見学しながら、書道全集を構想しておられる神田先生を想像しましたが、台湾の書道研究は、日本書道史の中でも重要な地位を占めることになるであろうと想像しています。
◆そして次は韓国の全集ビエンナーレに参加した報告ですが、日本の「書道」とは異なって、「訓民正音」すなわちハングル成立以後の書道状況を考えてみたいと思います。15世紀中葉の世宗王のとき、ハングルが創設されますが、世宗王没後は一般の日常文字としてはほとんど普及しませんでした。ところが草創から四世紀以上たってから、二十世紀になり、半島に民族主義の高まりを見るに及んで、ようやくハングルにも書芸的な創作、研究対象として関心が向けられるようになりました。おそらく「書芸」という語も、ハングル成立以後盛んになったのではないかと推察されます。といいますのも漢字文化の伝統の中では、「書法」は書法であり、其れを超えるというか、別の存在になるためには、日本の「書道」のように別の体系を持たなければならなかったと推察されます。今後のハングル「書芸」の発展が期待されますが、ハングルそのもので、感動させるようなものは、残念ながらほとんど一点も見当たらなかったからです。
◆といいますのも、日本の仮名は、変体仮名を含めますと約二百字、万葉仮名を含めますと数千字が書の材料として存在しています。故に書作品として十分な選択と創作の余地があります。日本のカナ作家の大部分は変体カナを使い、万葉カナを使って、多様性を表現するのに不自由は感じていないと思われます。しかしハングルは基本発音符号といえる百字に満たないもので、其の組み合わせで熟語が表記されますが、日本でいえばカタカナの世界に等しい存在で、十分な表現材料とはなり得ていません。ここで思い出されるのが、琉球の漢字と仮名の碑文の運命です。琉球でも外交の領域では漢文体がもっぱら用いられました。琉球が明を盟主とする国際秩序に参入したとき、意思疎通の媒体は当然漢文でした。その際の琉球の振る舞いを見ると、中華世界の外交儀礼文書作成に習熟していた様子がうかがえますが、総じて琉球において、カナによる碑文の制作はほぼ無くなってゆきました。 朝鮮半島におけるハングル書芸も、表意文字の漢字の使用を制限させる物となる以上、これと似た運命をたどらないか、危惧します。漢字は四千年の歴史を持つ極めて息の長い文化であり、文字体系ですので、其れを捨て去る、また其の文化磁力から遠ざかるのは生命力の放棄に均しいと、もっと漢字書法を復活させるべきと、そのような論調で発表してきましたが、賛否両論でありました。
◆また後半は漢詩欄の復活とお知らせです。本誌は書法漢学研究と言うように、書に関する論考と漢詩文の二本立てを基本としますが、今後は漢詩にも重点を置き、広く漢詩作家の作を公募して、優れたものは顕彰し広めて行くことを目指します。
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