◆昨年末の12月17日(土)、大阪・蝸蘆美術館(1F、3F)に於いて標題のささやかな会を催した。テーマは「金石拓本の鑑定法」というもので、中国史上の金石史から説き起こし、書史の中でどのような影響を与えたのか、さらに個別の金石拓本の鑑定という特殊の分野での問題に論及した。
◆まずこの「金石」とは何か、我国ではしばしば鉱物に関する学ではないかと、誤解される向きもあるが、そうではなく、「金」はつまり金属、たとえば殷周時代の青銅器など、「石」はそれを素材とする碑刻など、広範囲に及ぶ器物を対象に、そこに鋳こまれ、また刻されたりする銘文を中心に研究する学術分野を指す。かつて故宮博物院長であった馬衡(ばこう)は、その名著である「中国金石学概要」(『凡将斎金石叢稿』中華書局)で次のように述べている。
「金属や石材の材料によって客観的研究を行い、それにより史学に貢献するものでる。およそ甲骨の刻辞、彝器の款識、及び一切の金石、竹木、磚瓦などに文字のあるものは、すべて遺文である」。
◆そして、この「金石」という諸の淵源をたどれば、おもうに秦に始まると述べ、『史記』秦始皇帝本紀に載せている群臣の奏議及び始皇・二世の詔書に、「金石の刻」あるいは「金石の刻辞」とあるのにもとづいている。後世これらの刻辞も称して金石、あるいは単に金石と簡称するのである。と説いている。
◆この学問は、五代以前に金石学を専らにあうる者はなかったが、宋になってはじめて専門の学者があらわれた。この人物こそ蘇軾(そしょく/東坡:とうば)の先生で、北宋の文壇鉅公であった欧陽文忠公(おうようぶんちゅうこう/脩:しゅう)でる。この人の『集古録』が、金石に専者があるはじまりであろう。
だいぶ最初からややこしくなって恐縮だが、次回よりゆろゆろと説き説きおこすことにしよう。 |