◆「書法漢學研究」も33号を発行できました。これも皆さんのご協力のたまものと編集者として有り難く想っています。同時に課題のようなものも見えてきます。それは投稿者の数も減少気味もその一つですが、碑学派、帖学派と言った従来の枠組みが崩れつつあるのではないかと言う危惧があることです。今回は更に重要な橋本、志民氏の論考以下、従来の方法での執筆がされていますが、解題的紹介をやめてその危惧について述べたいと思います。すなわちテクノロジーの進歩があまりに早く、いずれ人間に制御できなくなるのではないかという脅威が高まっています。
◆ちなみに皆さんは作品を書く前に、「墨場必携」を利用されている方は多いと想います。字数で言えば、二字、三字、五字、七言対聯、十字、十四字、二十字(五言絶句)、二八字(七言絶句)、五六字(七言律詩)で字面の好いものを、しかも中心に縦画の長い字があれば、飛びついてしまう方もいるのではないかと想われます。しかしそれでよしとしては芸術としての書道は展望、発展がありません。恐らくチャットGPTはそこに付け込んでくるのではないかと想われます。そこが人間の側の弱点といえるかも知れません。まず言葉選びの作業を墨場必携に任せているのは油断しすぎているでしょう。まず自分の立ち位置を確認するところから始めなければなりませんが、自分は芸術家なのか、書家は単なる字書きとどのように違うのが問われているとも言えるでしょう。
◆最近話題の生成AI は話題を呼んでいますし、私はまだ使いこなせていませんが、近い将来書学研究に対して脅威になるだろうとは感じています。実際に書の場合でも、中唐以後の印刷術の進展が草書、手書き文字の重要性,再発見に気づかせたという面があります。恐らく印刷術の登場に近い影響が現代書道においても現れてくると想います。どのような影響かと問われても簡単の答えは見いだしがたいとは言えると想います。しかし書の根幹に関わる問題を提出してくると想われます。また現今のロシア侵攻で地政学が脚光を浴びていますが、自国が保有する資源や地理的条件に着目し、他国との関わりを見極めながら自にとって最適な解を導くための思考様式を指すと言われます。日本書道の資源と言えば、漢字の深遠さを理解し、仮名文字の余白の意味などを哲学的に証明すること等多様なものがありますでしょうが、漢字の釈読がまず基本的な出発点でしょう。漢字の釈読だけでも漢字書法家の遺産はたくさんありますが、その遺産を墨場必携に任せてしまうのは大いなる損失です。
「富岡鉄斎」正宗得三郎 著 錦城出版社 1942 (インターネット公開)
◆本誌は今後どのような変遷をたどってゆくのか未知数の處もありますが、そこに重点を置く事が生成AIに対する防御というか、書道が長続きするかの鍵であると再認識しています。そこで思い出されるのが、富岡鉄斎の方法です。かつて京都には美術関係の結社として昭和初期に麗澤社があり、京都大学の支那学関係の諸大家は大抵これに参加されていて京都が中国学の中心地のような趣を呈しており、「富岡鉄斎」の存在は引っ張りだこというか、目立つ存在でありました。
◆そうした時代環境の中ですから、富岡鉄斎は必然的に京都の美術家団体の盟主としても祭り上げられていました。毎年春には岡崎公会堂で中国名画展を開いておりましたが、鉄斎は文人画家としてあまりに有名で祭り上げられましたが、題材として仙人というか、面白い人物を画題の対象にしていることでもよく知られています。しかし面白いだけに注意も必要です。
富岡鉄斎「華之世界図 (清荒神清澄寺鉄斎美術館蔵)」
◆弟子の本田蔭軒氏は晩年に師事し、鉄斎から書画を学んだ入室の弟子でありました。其の蔭軒氏の話では(青木正児全集8巻、鉄斎画賛文解説349頁)、鉄斎翁は有名な蔵書家であったうえに、博覧な読書家でありました。蔭軒氏の話では、翁が繪を描く前には必ず書庫に入り、何か本を出して読み耽る。本を置いたと思うと、やがて塗抹しはじめたといいます。又翁は非常に筆まめな人で文献の抜き書きをたくさん作っておられた。翁は詩は得意ではなかった。随って自作の詩を題することは極めて稀でした。「私の絵を見る者は高級な学的知識が必要じゃ。無学な者には縁が無いだろう」と嘯ぶかれそうですが、そこに今回の生成AIに対する対処方法も示されていると想われます。
◆そうした激変する時代環境の中でも、富岡鉄斎は必然的に京都の美術家団体などから盟主としても祭り上げられている中、京都学派を代表する学者の青木正児先生が鉄斎の繪の画賛の解説、釈文を担当されてもいるのは気をつけてみるべきです。そこには鉄斎は単なる繪画きでは無い、文人として博大な漢学の素養があった人であり、もっと顕彰されてしかるべきという信念のような、もっと大事に扱われてしかるべきと感じさせる愛情というか、共感と思い入れが感じられますが、鉄斎から言わせれば、チャットGTPなどに負けるようでは、まだまだ漢字の咀嚼ができていないと叱られそうです。そうした気持ちで今後も本誌の編集はつづけてゆきたいと思いますし、それが足元を見失わない一つの方法と想われます。 |