敬天齋主人の知識と遊びの部屋
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書法漢學研究メルマガ

メールマガジン Vol.33 2023年9月5日発行

【本号の内容】
 「書法漢學研究」第33号のご案内
 「書法漢學研究33号」刊行に際し −大野修作−
 金石過眼録-2  −萩 信雄−
 「書法漢學研究会」理事長交替のご報告
 関西で開催される展覧会情報

「書法漢學研究」第33号のご案内
書法漢學研究第33号  
地下世界で育まれた隷書 橋本吉文
「??蘭亭」流伝に関する若干の問題 −項氏一族による収蔵をふまえて− 志民和儀
周亮工と説文学 −『字触』と『印人傳』の盛行− 大野修作
鄭板橋の印と印跋 高畑常信
寵の書作品に関して −相模女子大学書道ゼミナール台湾研修旅行に参加して− 下田章平
漢字楷書の筆順の考え方について 尾川明穂
探訪何子貞墓 井谷憲一
 
「書法漢學研究33号」刊行に際し −大野修作−

「書法漢學研究」も33号を発行できました。これも皆さんのご協力のたまものと編集者として有り難く想っています。同時に課題のようなものも見えてきます。それは投稿者の数も減少気味もその一つですが、碑学派、帖学派と言った従来の枠組みが崩れつつあるのではないかと言う危惧があることです。今回は更に重要な橋本、志民氏の論考以下、従来の方法での執筆がされていますが、解題的紹介をやめてその危惧について述べたいと思います。すなわちテクノロジーの進歩があまりに早く、いずれ人間に制御できなくなるのではないかという脅威が高まっています。

ちなみに皆さんは作品を書く前に、「墨場必携」を利用されている方は多いと想います。字数で言えば、二字、三字、五字、七言対聯、十字、十四字、二十字(五言絶句)、二八字(七言絶句)、五六字(七言律詩)で字面の好いものを、しかも中心に縦画の長い字があれば、飛びついてしまう方もいるのではないかと想われます。しかしそれでよしとしては芸術としての書道は展望、発展がありません。恐らくチャットGPTはそこに付け込んでくるのではないかと想われます。そこが人間の側の弱点といえるかも知れません。まず言葉選びの作業を墨場必携に任せているのは油断しすぎているでしょう。まず自分の立ち位置を確認するところから始めなければなりませんが、自分は芸術家なのか、書家は単なる字書きとどのように違うのが問われているとも言えるでしょう。

最近話題の生成AI は話題を呼んでいますし、私はまだ使いこなせていませんが、近い将来書学研究に対して脅威になるだろうとは感じています。実際に書の場合でも、中唐以後の印刷術の進展が草書、手書き文字の重要性,再発見に気づかせたという面があります。恐らく印刷術の登場に近い影響が現代書道においても現れてくると想います。どのような影響かと問われても簡単の答えは見いだしがたいとは言えると想います。しかし書の根幹に関わる問題を提出してくると想われます。また現今のロシア侵攻で地政学が脚光を浴びていますが、自国が保有する資源や地理的条件に着目し、他国との関わりを見極めながら自にとって最適な解を導くための思考様式を指すと言われます。日本書道の資源と言えば、漢字の深遠さを理解し、仮名文字の余白の意味などを哲学的に証明すること等多様なものがありますでしょうが、漢字の釈読がまず基本的な出発点でしょう。漢字の釈読だけでも漢字書法家の遺産はたくさんありますが、その遺産を墨場必携に任せてしまうのは大いなる損失です。

富岡鉄斎
「富岡鉄斎」正宗得三郎 著
錦城出版社 1942 (インターネット公開)

本誌は今後どのような変遷をたどってゆくのか未知数の處もありますが、そこに重点を置く事が生成AIに対する防御というか、書道が長続きするかの鍵であると再認識しています。そこで思い出されるのが、富岡鉄斎の方法です。かつて京都には美術関係の結社として昭和初期に麗澤社があり、京都大学の支那学関係の諸大家は大抵これに参加されていて京都が中国学の中心地のような趣を呈しており、「富岡鉄斎」の存在は引っ張りだこというか、目立つ存在でありました。

そうした時代環境の中ですから、富岡鉄斎は必然的に京都の美術家団体の盟主としても祭り上げられていました。毎年春には岡崎公会堂で中国名画展を開いておりましたが、鉄斎は文人画家としてあまりに有名で祭り上げられましたが、題材として仙人というか、面白い人物を画題の対象にしていることでもよく知られています。しかし面白いだけに注意も必要です。

華之世界図
富岡鉄斎「華之世界図
(清荒神清澄寺鉄斎美術館蔵)」
ルーペアイコン

弟子の本田蔭軒氏は晩年に師事し、鉄斎から書画を学んだ入室の弟子でありました。其の蔭軒氏の話では(青木正児全集8巻、鉄斎画賛文解説349頁)、鉄斎翁は有名な蔵書家であったうえに、博覧な読書家でありました。蔭軒氏の話では、翁が繪を描く前には必ず書庫に入り、何か本を出して読み耽る。本を置いたと思うと、やがて塗抹しはじめたといいます。又翁は非常に筆まめな人で文献の抜き書きをたくさん作っておられた。翁は詩は得意ではなかった。随って自作の詩を題することは極めて稀でした。「私の絵を見る者は高級な学的知識が必要じゃ。無学な者には縁が無いだろう」と嘯ぶかれそうですが、そこに今回の生成AIに対する対処方法も示されていると想われます。

そうした激変する時代環境の中でも、富岡鉄斎は必然的に京都の美術家団体などから盟主としても祭り上げられている中、京都学派を代表する学者の青木正児先生が鉄斎の繪の画賛の解説、釈文を担当されてもいるのは気をつけてみるべきです。そこには鉄斎は単なる繪画きでは無い、文人として博大な漢学の素養があった人であり、もっと顕彰されてしかるべきという信念のような、もっと大事に扱われてしかるべきと感じさせる愛情というか、共感と思い入れが感じられますが、鉄斎から言わせれば、チャットGTPなどに負けるようでは、まだまだ漢字の咀嚼ができていないと叱られそうです。そうした気持ちで今後も本誌の編集はつづけてゆきたいと思いますし、それが足元を見失わない一つの方法と想われます。

 
 金石過眼録-2   −萩 信雄−
萩信雄先生
萩信雄先生

金石の学問は、五代以前にそれを専らにする者はなく、北宋になってはじめて専門の学者があらわれた。この人物こそ蘇軾(東坡)の先生で、当時の文壇の巨匠であった欧陽脩である。この人の『集古録』が、金石に専書があるはじまりであろう。これ以後、呂太臨・薛尚功・黄伯思・趙明誠・洪?など各おのに著述があったが、宋に続く元・明代はいわば金石学の暗黒時代と言ってよい。ところが清になり、異民族である満州族が統治するようになると、その支配を貫徹するため、漢人の知識層つまり読書人に対する懐柔策とともに、それに対して、「文字の獄」と呼ばれる弾圧がはなはだ厳しく、このため士大夫の好尚は、時局とほとんど関係のない「考古」に向かうようになった。さらに小学(文字学)が盛んとなって、金石をもって「證経訂史」の具とするようになったのである。さらに加えてこの時代は、碑碣・墓誌銘・青銅器・璽印・瓦?の類がおびただしく出土したことにより、それらの?搨も大いに海内に広まった。清朝考證学の祖であった顧炎武[万暦41年5月28日(1613年7月15日)〜康熙21年1月9日(1682年2月15日)]は、その著『金石文字記』自序で、

「余れ少年自(よ)り、即ち古人の金石文を訪求するも、
猶(な)お甚だしくは解せず。欧陽公(脩)の集古録を
読むに及び、乃ち其の事、多くは史書と相(あ)い證明し、
以て幽を?(ひら)き、微を表わし、闕けたるを補い、
誤りを正す可くは、但(た)だ詞翰の工(たく)みならざ
るを知るのみ」

大盂鼎
未剔本「大盂鼎」(近藤本)
ルーペアイコン

と言っている。顧炎武の姿勢はまったく闕を補おうとするものであった。顧炎武は後年、抗清レジスタンスに身を挺して、その足跡はあまねく天下に及び、その際にも古碑断碣を捜求して、ついに本書をまとめあげたのである。(つづく)


顧炎武
顧炎武
  金石文字記
金石文字記

 
 「書法漢學研究会」理事長交替のご報告

2007年7月刊行の「書法漢學研究」創刊号より16年間に亘り、小誌主幹として、また書法漢學研究会理事長として執筆者依頼、校正、投稿、諸々の作業までご尽力いただいた大野修作先生が、自身の健康上の不安から理事長の職を辞したいとのお申し出があり、副理事長の中村伸夫先生にご相談したところ、大野先生に成り代わってこの要職をお引き受けくださる事となり、理事会での承認もいただきました。

34号より中村伸夫新理事長体制で各種御助言いただきながら書法、漢學分野の発展のためにご尽力下さいますことを期待いたします。また副理事長の空席には新たに井谷憲一先生にご就任いただきたく打診いたしましたところ、ご快諾いただきました。

中村伸夫理事長、井谷五雲副理事長には各種ご助言いただき、書法、漢學分野の発展のためにご尽力下さいますようお願い申し上げます。現在、ご就任いただいております本会役員は次の方々です。

なお、大野修作先生と松丸道雄東京大学名誉教授には本会顧問として引き続きご就任いただきます。(五〇音順 敬称略)

顧  問 松丸道雄(東京大学名誉教授)        
  大野修作(書法史家・元京都女子大学教授)
理 事 長 中村伸夫(つくば大学名誉教授)
副理事長 井谷憲一(日本篆刻家協会常任顧問)
理  事 安藤豊邨(毎日書道会評議員)
  近藤 茂(アートライフ社代表取締役)
  富田 淳(東京国立博物館副館長)
  中村寿樹(広島学院教諭)
  萩 信雄(安田女子大学栄誉教授)
  吉澤鐡之(茨城県漢詩連盟会長)
  和中繁明(日本篆刻連盟理事長)

【理事長辞任の言葉】

大野修作
 この度、小生は書法漢學研究会の理事長を辞任することといたしました。理由は体力的な状況です。三年半前に脳梗塞を患ってリハビリに務めていますが,まだ完全には回復していません。動作はやや緩慢で、理事長職の激務にはふさわしくないと自ら判断いたしました。
 想えば本会の準備段階からですと約17年もの歳月をこの仕事に関わっています。その間、書道界は変わってきていますが、肝心の書画の背後に潜む漢学の素養は未だに十分な理解が得られていないと見受けますが、本誌はそれなりに一定の働きをしたと自負しております。もっと変革してゆかなければならないと想いますが、後継の人たちに引き継いでもらうしかないとも思っています。
 幸い副理事長の中村氏に相談したところ引き受けても好いとの返事をもらい、安心して引き継ぎ出来そうです。今後は生成AIなど書道を取り巻く状況は一段と厳しいものになってゆくと想いますが、本会の根幹である漢学の素養の涵養に十分な理解ある中村理事長の下であれば、方向を見失うことはないと想います。
 私自身も今後とも体力が許せば、本会には編集、執筆活動を含めて協力を惜しまないつもりです。以上よろしくお願い申し上げます。
 令和5年8月                大野修作拝。


【理事長就任の言葉】

中村伸夫
 この度、大野修作先生が永らく担当されてきた書法漢學研究会の理事長を務めることになりました。書法と漢学の両面の理論に精通されている大野先生とはちがって、漢学、特に漢詩に関する素養を欠く者がこの重責に当たることの不適格性は私自身がもっとも感じているところです。適任者の方にバトンタッチするまでの間、何とか微力を尽くして頑張る所存です。         中村伸夫

 
 関西で開催される展覧会情報

竹扇会 ●第58回竹扇会書展
 大阪産業創造館3Fマーケットプラザ
 9月16日(土)〜9月18日(月・祝)
 初日はPM1:00〜
 AM10:00〜PM4:30
   
心象書展 ●第56回心象書展
 京都文化博物館5F全室
 11月9日(木)〜11月12日(日)
 9日はPM3:00〜PM6:00
 10・11日はAM10:00〜PM6:00
 12日はAM10:00〜PM4:00
   
林平 ●林平書法展
 大阪美術倶楽部
 12月16日(土)〜17日(日)
 AM10:00〜PM5:00
 (最終日はPM4:00まで)
   


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