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メールマガジン Vol.36 2025年2月16日発行


【本号の内容】
 「書法漢學研究」第36号のご案内
 「書法漢學研究」第36号刊行に際して −中村伸夫−
 金石過眼録  −萩 信雄−
 新刊紹介 「?斎蔵詔版集成」萩信雄著
 書籍紹介 「金石書史研究」萩信雄著

「書法漢學研究」第36号のご案内
書法漢學研究第36号  
高貞碑陰考 萩 信雄
『戯鴻堂法書』考 橋本吉文
陳垣往来書信考 早川桂央
近代篆刻における封泥の受容と発展 川内佑毅
「菩薩三尊像」拓軸と藤井永観文庫のこと 志民和儀
九十九硯齋紀暁嵐 井谷憲一
〈李柏文書〉と〈李柏尺牘稿〉 (上・下)の引用文献 白須淨眞

【表紙写真】 明拓乙瑛碑
 表紙は本誌32号で橋本吉文氏の論考『明拓「乙瑛碑」拓本考 』に収録した「乙瑛碑(個人蔵)」です。この拓本の新旧を確認するには?彦生在《善本碑帖?》、方若・王壮弘《増補校碑随筆》からも分かるように、「辟」字未損である明拓本であることが判明しています。そして同時に北京故宮博物院が収蔵する「明拓乙瑛碑」に匹敵するほどの旧拓名品です。

乙瑛碑   乙瑛碑
 
「書法漢學研究」第36号刊行に際して −中村伸夫−
紀暁嵐古居
紀暁嵐故居
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『書法漢学研究』第36号をお届けします。本号も碑、帖、印などにかかわる各種各様の論考が集まりました。玉稿をお寄せいただいた先生方に御礼申し上げます。次号にも購読者諸氏による積極的な投稿をお願い致します。

本号の最後に掲載されている井谷憲一副理事長による「九十九硯斎紀暁嵐」は、『四庫全書』総纂官紀暁嵐の故居と、その著『閲微草堂硯譜』にかかわる興味深い内容の一編です。今は山西料理専門店「晋陽飯荘」になっている故居についての書き出しは、改革開放の前後に北京を訪れ、風情あるこの界隈の魅力に取りつかれた者にとっては、格別の懐かしさが感じられます。

この百年近くの間、北京にかかわる知識人の物語は、多くの人たちによって書かれてきました。しかし私は、玉?篆の名手でもあった紀暁嵐と同時期の文人官僚、洪亮吉のことを書いた奥野信太郎「北京時代の洪北江」の右に出る傑作はないと思っています。精細な考証と実地の踏査をふまえ、乾嘉の昔と民国の今を感性豊かに交錯させた空想小説のような傑作です。

さて、本号の最終頁にも紹介がありますが、このたび萩信雄先生がアートライフ社からシリーズ「民間に眠る名品」の一冊として『?斎蔵詔版集成』を上梓されました。清末の金石学者陳介祺(1813〜1884)旧蔵の秦詔版の拓本十種を原色で収めた貴重な一冊です。

巻頭には詔版に関する詳しい解説文(「詔版概述」)があり、それぞれの拓本ごとに、懇切丁寧な釈文・訓読・注釈が完備しています。わずか十種とはいえ、無数に存在したはずの詔版銘を、書法の視点から大観するうえでの典型例が集められているようです。ほぼ同じ文章を、ほぼ同じ時期に、多くの人々が総動員されて、集中的に刃物で刻みこんだ銘文です。それだけに今そこに生きている秦代の篆書の字姿に接しているような感じがします。

隋代の仁寿年間に行われた全国的な舎利塔建立の際の銘文制作も、ほぼ同じ文章を、ほぼ同じ時期に、多くの人々が担当しました。楷書体によるこの銘文群の書法としての様式にも、書写にあたった人物の個人差は歴然としています。

まさにそのように、はるか昔の秦の始皇帝期の冷徹過酷な時代にも、大忙しで文章を刻み込んだ多くの人々の個人差がはっきりと表れています。秦篆の典型に近いものから、きわめて草卒で簡古なものまで、十種の拓本の文字はそれぞれに様相を異にしていて興味がつきません。殷代の甲骨文の制作でも一部で行われたような、縦画ばかりを刻した後で、横画ばかりを刻したものもあるのかも知れません。
是非とも書架に配して勉学に役立てたい新鮮な一冊です。

 
 金石過眼録 −萩 信雄−

今回からはアトランダムに石刻作品を取り上げて、その拓本の新旧の鑑別法を述べようと思う。

入蜀の正道
入蜀の正道
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まず、漢代摩崖隷書の名品「開通褒斜道刻石」について、古来よりしばしば都が置かれた関中平原は、西より東に渭水(いすい)が貫流し、外には重畳(じゅうじょう)たる天然の要害が取り囲み、内には豊穣(ほうじょう)たる平野がひろがる王畿の地であった。この関中から西南、王羲之の「十七帖」にも称された天府の国・蜀の地に入るには、甘粛から陝西南部に達する大山脈・秦嶺を縦断して漢中を通過するのが通常の行程である。主要なルートは四つあり、その一つが「褒斜道(ほうやどう)」で、非常な困難を伴う行程を、古代人は巧みに山岳地形を利用した。すなわち、秦嶺中の最高地点を分水嶺として、南北に相対する河道を通路としたのである。北流する斜水、南流する斜水に沿うてつくられたのが「褒斜道」で、まず漢中に達してさらに西南の蜀に向かうには、秦より以後、必ず「金牛道」に拠った。古来、蜀に難あれば常にこの地域が戦場となり、『史記』秦本紀の恵文王の時、
  「八年、張儀復(ま)た秦に相たり。九年、司馬★(金+昔) 蜀を伐(う)ち、之を滅ぼす。………十三年、庶長の章 楚を丹楊に撃ち、其の将、屈★(くつかい)を虜とし、首八万を斬る。又た楚の漢中を攻め、地六百里を取り、漢中郡を置く」
と述べられている。この記事をふまえて李白は、
  「秦、蜀道を開き、金牛を置く」(「上皇西巡南京歌」之六」
と言っている。

開通褒斜道刻石
開通褒斜道刻石
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「褒斜道」を北桟と呼ぶのに対し、「金牛道」を南桟といい、秦の恵文王が蜀を征服した時の行路、「入蜀の正道」と呼ばれるのである。なお、「桟」とは桟道のことで、切り立った岸壁に、棚のように木をかけて作った人工の道をいう。歴史地理学者であった顧祖禹(こそう)は、その名著『読史方輿紀要』巻六・漢中府で、この地を地勢上から論じ、
  「北は関中を俯瞰し、南は巴蜀を蔽(おお)い、東は襄ケに達し、西は秦隴を控え、形勢は最も重し」
と名言を残している。[つづく]

 
 【新刊紹介】 「?齋蔵詔版集成」 萩信雄著
?齋蔵詔版集成
詳細・ご購入

 中国清朝末期の陳介祺(1813〜1884)は翰林院編修となるもすぐに官を辞して郷里に帰り、毛公鼎を入手するなど金石学の研究に打ち込みました。潘祖蔭、呉大澂らと交流し、「南潘北陳」と称され、多くの後人が尊敬する偉大なる収蔵家、研究者でした。
 本書で紹介した詔版は、
 1.秦始皇廿六年詔勅…五種
 2.二世皇帝詔勅…五種
 図版監修・解説・釈文・訓読は安田女子大学栄誉教授・萩 信雄氏に依頼しました。また、装丁、題箋など伝世経緯の分かる箇所も掲載、そして全文原色原寸掲載、さらに文字部分は臨書しやすいように拡大図版を、全頁カラーにて紹介しました。
 本邦初公開、類書のない資料である小篆資料を一人でも多くの書道家、金石愛好家の資料としてお手元にお揃えいただきたく思います。


【目 次】
 概述
 図版・釈文・訓読・注釈
  詔版1 始皇帝廿六年詔版
  詔版2 始皇帝廿六年背面詔版残欠
  詔版3 始皇帝廿六年詔版
  詔版4 始皇帝廿六年詔版
      二世元年詔版
  詔版5 始皇帝廿六年詔版
      二世元年詔版背面詔版残欠
  詔版6 二世元年詔版
  詔版7 二世元年詔版
  詔版8 二世元年詔版
  詔版9 二世元年詔版
  詔版10 二世元年詔版
 参考資料


A4版並製表紙カバー巻き 本文36頁オールカラー
2025年1月刊行
定価:2,800円(本体価格)
ISBN978-4-908077-30-2 C3070


■表紙画像
表紙の図版「秦二世詔版」は西安在住、馬驥先生収蔵の詔版です。 詔版は秦始皇帝が中国統一後、文字を統一、そして度量衡を定めるために発令した詔。丞相・李斯に命じて大篆を省改し、鑿銘による小篆で表した、非常に面白い書体です。 縦 99、横72、厚2mm
【釈文】
 元?制詔丞相斯去疾?
 度量盡始皇帝爲之皆有
 刻辭焉今襲號而刻辭不
 稱始皇帝其於久也如
 後嗣爲之?不稱成功盛
 コ刻此詔故刻左使疑

詔版拓本   馬所蔵詔版
詔版拓本   馬所蔵詔版

 
 書籍紹介 「金石書史研究」 萩信雄著
金石書史研究
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本書は、安田女子大学栄誉教授の萩信雄氏の既発表論文26篇をⅠ〜Ⅴの五部構成で収録した一大書論集です。金石学とは碑文研究の一種で、中国古代の青銅器や石碑などに刻まれた銘文(金石文・金文・石刻文)や画像を研究する学問で、萩氏はこの分野の第一人者です。所収論文は、30余年にわたる金石書史学の研究について、漢碑や北碑、蘭亭や閣帖、清朝の金石家などあらゆる方面の子細について400頁超に詳述されています。当時、『墨』二四〇号にて、萩信雄論集刊行会のメンバーであった福田哲之氏が「樸学者の矜持」を、大橋修一氏が「萩さんという人」を、その真価を書評にて伝えました。
限定300部であるため残部僅少ですが、当メルマガにてご案内する次第です。


発行 2016年3月
萩信雄論集刊行会
A4変型判、筒函、函入 限定300部、総448頁
定価:18,000円(税別)、送料サービス
ISBN:9784907823771

【お申込は】
アートライフ社まで
 メール info@artlife-sha.co.jp
 FAX 06-6920-3481



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